曹洞宗 源光院

曹洞宗 源光院

春は花
夏ほととぎす
秋は月
冬雪さえて
冷(すず)しかりけり

源光院について
情報

住所:〒424-0066 静岡県静岡市清水区七ツ新屋517 TEL:054-348-7125 FAX:054-348-7758

御門台駅出口から徒歩約10分 / 狐ケ崎駅出口から徒歩約11分 / 草薙(東海道本線)駅出口から徒歩約22分

国道1号線沿いのお寺です。駐車場は若干有ります。

葬儀、法事、永代供養などのお問い合わせはTEL&FAXにてお気軽にご相談ください。
TEL、FAXの他に、当サイトの管理人(源光院護持会員)経由になりますが お問い合せフォームもあります。

※お知らせ
このページは源光院護持会役員(任期2018.04.01~2022.03.31)を務めたサイト管理人(かどや)による私的な源光院様ご紹介ページです。
genkouin.jpは[登録者名:自営業かどや]で2018年12月26日から個人登録しております。 ドメイン名登録情報検索サービスのJPRS

源光院の由来
郷土史「七ツ新屋の今昔」から引用・加筆

源光院は‘げんこういん’と読みます。私、地元七ツ新屋に居住していますが、誠に恥ずかしながら詳しい由来は存じませんでした。 これではイカンと郷土史「七ツ新屋の今昔」を紐解いてみますと『源光院は、文禄二年(1593年)今泉の楞厳院(りょうごんいん)二世、南栄舜道和尚の徒弟椿溪道寿を開基として創建されました。 宗派は禅宗で曹洞宗(開祖道元禅師-どうげんぜんじ-)に属します。中国伝来の公案禅を主体とする臨済宗に対して、只管打座を唱導する日本型の禅とも言える立場であります。』と書いてありましたので存外、古くからあるお寺という事が分かりました。

注)只管打座(しかんたざ)とは、悟りを求めたり想念をはたらかすことなく、ひたすら座禅すること-三省堂 大辞林 第三版より-

さらに「七ツ新屋の今昔」を読み進めると『大正六年(1917年)六月二十六日に当院は全焼、再建にあたり本尊は、本院である楞厳院にあずけてあった元馬走村光徳寺の本尊を祀りました。 ところが、昭和六年(1931年)に静清国道(国道1号線)を作る事になった際に、本堂が全面的に路線に掛かったので移転、現在の場所に至りその結果、境内は三分の二を失いました。』…なるほど、昔は境内がもっと広かったようですね。 本堂と墓地のあった場所は国道1号線になり、その影響で「交通安全祈願の難除地蔵尊」が祀られるようになるのですが、そのお話は下の「難除地蔵尊の由来」に続きます。

(注)ここから下の画像ですが、スマホの方はタップでズーミングします。画像の無いところをタップすれば元に戻ります。
パソコンの方はカーソルを画像に乗せればズーミング、戻せば元に戻ります。

源光院画像5

交通安全祈願の難除地蔵尊

詳細は「難除地蔵尊の由来」を一読お願い致します。

源光院画像6

手水舎

侘び・寂び…生きるもの全てが本来持っている本性である仏性に気付く

難除地蔵尊の由来

郷土史「七ツ新屋の今昔」には次のように書かれています。『昭和初期における国道の交通量は極めて少なかったのですが、元本堂と墓地のあった国道の所で交通事故が頻発しました。 常識では考えられない不祥事が多かったと土地の古老たちは異口同音に語り継いでいます。
これはただ事ではないと考えた村人達が相謀って、この土地を清め鎮めなければならない、という事になり福井県小浜市の発心寺の難除地蔵尊を分祀するのが良いという事になりました。 不思議に、それ以来ピタリとこの地点での交通事故はなくなったそうです。』…はぃ、私も伝聞として語り継いでいこうと思った次第です。

Photo Area
日日是好日な景色

源光院画像8
慈悲観世音菩薩
源光院画像9
静寂 時の流れは止まる
源光院画像10
春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬 雪冴えて冷しかりけり
ページのトップへ戻る